ギリギリ×ベリーイージーRS X誕生記念
SPECIAL Interview
Vol.1 ミュージシャン/ギタリスト Char

PRGRと深い関わりをもつ人物に、新しいRS、PRGR、ゴルフについてお話を聞くスペシャルコンテンツ。第1回目は2014年初代RS(iD nable RS)を発売した際にCMキャラクターを務めていただいたミュージシャンのCharさんです。

PRGR)Charさん、ご無沙汰しています!初代RSではCMキャラクターを務めていただきありがとうございました。今日はCharさんのゴルフへの取り組みや、PRGRとの関わり、思い出などをお聞かせください。

Char)10年ぶりですね。ずっとRS使ってますよ。でもさすがにそろそろクラブ変えようかなということで、先日PRGRのスタジオに行ってみたら新しいモデルがあって打たせてもらった。ずいぶん打ちやすくなってたから10年ぶりにクラブを変えたいと思います。

Ch.1 ゴルフとの出会い

PRGR)ゴルフは続けられているんですね。

Char)我々ミュージシャンは夜行性の人間なので、昼間やるゴルフとは時間帯が逆。とはいえゴルフ以外に運動することもないし、人間は本来お天道さまの下でちゃんと光合成しないといけないので、ゴルフは定期的にやっていますよ。ゴルフは歩くし夜型人間の体内時計をリセットしてくれる。最初の3ホールはカートに乗らずにコースの景色を味わうことを大事にしています。でも暑かったりアップダウンがあるコースはきついからやらないけどね(笑)

PRGR)昔はミュージシャンがゴルフをやるイメージはあまりありませんでしたが、そもそものゴルフを始めるきっかけを教えてください

Char)デビューしたての20代前半(1970年代半ば)の頃、レコード会社の担当ディレクターが大のゴルフ好きでね、昔はテレビ局には福利厚生施設で打ちっぱなし場がよくあったから、業界の人はゴルフをよくやっていたし、社内コンペも頻繁にあった。その頃にディレクターに誘われて数回打ちっぱなしには行ったけどラウンドすることは無かった。

子どものころは音楽以外にも野球やサッカーやスケートをやるスポーツ少年でもあったので、ゴルフはスポーツっぽくなくて。あとは当時のウェアがダサくて、格好にレギュレーションがあるらしいと聞いてそれが嫌で、ゴルフの入口に立ったけど入り込まなかった。

コースデビューは30代(1980年代後半)になってから。もともとゴルフをやっていた妻のお母さんがゴルフを再開することになって、俺にもハーフクラブセットを買ってくれて無理やり引っ張り込まれたの。買ってもらった2週間後にお義母さん行きつけのお寿司屋さんのコンペがあって、そこでデビューすることになったんだけど、その時に寿司屋の大将から初ラウンドで120切ったら一生寿司タダで食わせてくれると言われて。周りの常連さんからは“絶対無理だ!ダンプ一台分球を打て!辞退しろ!”とやんや言われて頭にきて、逆にやる気になったんだよね。

とりあえず止まっているボールを打つんだから基礎を身に付ければなんとかなるだろうと思って、レッドベターの本を買ってきて基本的な動きを徹底的に練習して。やってるうちに左手の親指の皮が剥けてギターが弾けないくらいになっちゃったんで、途中からベースボールグリップに変えて練習を続けて、結局初ラウンドのスコアは118で見事目標クリア。

PRGR)初ラウンドで短期間の練習で120を切るとは、凄いですね!

Char)寿司屋での祝勝会では常連さんに、“卵産んだんじゃないのか?空振りもちゃんと数えたか?”なんて散々いじられたけど、やっぱり楽しくて。それからゴルフの世界に入っていったなあ。

Ch.2 アメリカでのゴルフ

Char)完璧にゴルフにはまったのは米国ケンタッキー州の妻の実家に帰省した際、偶然実家の裏山の先にあったゴルフ場を発見してから。プレー費はたったの3ドルで、カート代のほうが高くて10ドルくらい。地元の人しか行かないゴルフ場だったので外国人は俺ひとりだったけど、散歩がわりに毎日ラウンドしている地元のじいさん連中に可愛がられるようになって、“チャーリー”って呼ばれて滞在中は毎日最低2ラウンドはしてたね。プレー代は“A Day”だから1日回り放題。最初、2ラウンド目にスタート小屋でプレー代を払おうとしたら、“何を言ってるんだ”と笑われたよ。

ちなみによく一緒にラウンドしたじいさん達は退役軍人が多く、太平洋戦争で日本にも駐在していたような人たち。俺の父親もシンガポールで終戦を迎えたので戦争の話をすることも多かったけど、かつての敵国の子孫とも仲良く語り合えるというのがゴルフの素晴らしさだよな。これが飲み屋だったらヒートアップして鉄砲ぶっぱなし合っているかもしれないよ(笑)。

毎年夏休みには妻の里帰りに合わせて、ゴルフ仲間のいるそのゴルフ場に行くのが楽しみで、朝から晩までラウンドして1日最高4ラウンドやったかな。なんせゴルフ場しか遊ぶところがないし、ここで芝からのショットやバンカーショットが上達して70台も出るようになったし、知らない人とラウンドする楽しさを知ったね。

Ch.3 PRGRの記憶

PRGR)ゴルフにのめりこんできたその当時、PRGRに対する印象などはありましたか?

Char)正直当時は知らなかった。昔、東京の東雲に24時間の打ちっぱなしの練習場があったでしょ?ゴルフにはまっている頃、芝浦のスタジオでのレコーディングが多かったので、レインボーブリッジも無い時代だから、夜中にスタジオを抜け出して東京湾をぐるっと回ってその打ちっぱなし場に入り浸ってたんだけど、その入り口にバカでかく『PRGR』ってアルファベット4文字の看板があって、すごく印象に残っている。これ何の看板だろうといつも行くたびに思っていたけどゴルフクラブのブランドだとは思わなかった。周りにPRGRを使っている人もいなかったし。

でも後からゴルフメーカーだということがわかった。クラブも革新的で先進性のあるデザインで、なんか普通とは違うメーカーだなあという印象があった。使ったことは無かったけどね。

Ch.4 初代PRGR RSとの出会い

PRGR)2014年、初代RSがデビューする際に、CMに登場いただきました。その時の思い出などはありますか?

Char)ゴルフメーカーからCMのオファーが来て、曲を作るのかなあと思って絵コンテを見たらゴルフのCMによくある青い空、緑の芝生、雲に消えていく白いボールみたいのがまったくなくて、モノクロ画面でゴルファーが黙々とゴルフする絵で。ちょっと普通とは違う、ロックな空気を感じたの。そしてそのゴルファーは俺ですって聞いて二度びっくり。何考えてるの?って思ったよ。プロゴルファーでもないのにゴルフメーカーのCMでショットを披露するなんてあり得ないよね。本当にいいのって何度も確認したよ。

でも面白そうだからOKしたんだけど、撮影はかなりハードだったなあ。伊豆の方のゴルフ場で1日がかりで1つのホールを何回も行ったり来たりして。同じホールをこんなに何回もラウンドするのはアメリカでも無かったよ。撮影チームのこだわりも凄かったね、富士山に近いからたまに雲の切れ間からでっかい富士山が顔を出すんだけど、CMのイメージは荒涼としたスコットランドのゴルフ場なので、富士山が出るとイメージが損なわれるからとかで撮影ストップ。富士山が消えるのをみんなで祈りながら待ってたよね。
普通、富士山が見えたらみんな喜んでカメラ向けるもんだけど、PRGRの撮影チームは富士山が出たら怒ってた。なんてクレイジーなやつらなんだと思ったよ(笑)

※2014年 PRGR iD nabla RS CMキャプチャー

Char)発表会も南青山のBlue noteのステージでライブをやったけど、いままでのゴルフメーカーの常識を覆す発表会だったよね。もちろんクラブの性能も気に入ったけど、そのスピリットというか王道を歩かないロックな感じとかが好きで、気が付けばもう10年も同じクラブを使っている。

あと、PRGRで気に入ったのはキャディバッグに日の丸がついていること※。真っ白なケースに日の丸が輝いていてMADE IN JAPANを感じる。ギターでもゴルフクラブでも外国製の方がいいのはわかっているんだけど、日本メーカーのこだわりとかプライドを感じたね。

※2014年プロモデルキャディバッグPRCB-142

Char)あとPRGRのCMに出たことによって、Charゴルフするんだ。と今まで全然かかわりのない業種の人たちにもゴルフに呼ばれるようになった。新しいゴルフ仲間が増えたのは良かったね。でも困るのはPRGRのCMに出たからゴルフが上手いんだと思われること。あれは撮影チームが上手くみせているだけであって、ハードルあがっちゃって困ったよ。打ちっぱなしに練習に行ってもまわりのお客さんにこっそりスイング撮られたりして。あれには参ったなあ。

※2014年PRGR iD nabla RS 広告

※2014年インタビューの模様

Ch.5 ギリギリ×ベリーイージーRS Xについて

PRGR)今回のRS XはすでにPRGRのスタジオ(PRGR GINZA EX)で試していただきましたが、印象はどうでしたか?

Char)まずスイング解析機が設置されたハイテクな施設に驚いた。解析の結果、俺のスイングにはRS MAXが合っているみたいなので、早くゴルフ場で打ちたいね。弾道もだけどとにかく音を聞きたい。変な音のヤツは嫌。とりあえず見た目はグッド。とても楽しみ。

でも最近はずーっとゴルフの調子が悪くて。OBを打たないように中途半端なスイングで90を叩かないようなゴルフをずっとやってたんだけど、先日友達にスイング映像を撮って見せてもらったら振り切れてないし、ずいぶんじじいになったなと自分でもびっくりした。今年は体を鍛えて、もっと本腰いれてやらないとな。でもRS Xはそういう気持ちにさせてくれるクラブだよね。まず体をコレ仕様にする。10年付き合ったコとお別れして、もうすぐ新しいコが来る。ワクワクしているよ。

Ch.6 Charさんのゴルフの夢は

PRGR)最後にCharさんのゴルフの夢を教えていただけますか?

Char)来年70歳になるけど、どこまで元気にゴルフができるか。いまは90を切るのが目標になってしまっているけど、新しいクラブをおろすことで初心に帰れる。クラブのおかげでまた夢の70台を目指せるのが楽しみ。このドライバーに、夢を見せてもらおう。

ギターもそうだけど、やってないと今までできていたことができなくなる。なのでギターは毎日弾いてるんだ。ゴルフも同じで毎日クラブを触らないと上手くはならないよね。元々ギターは外国人向けにできているけど、今はカスタマイズして細いネックとかいろいろなモデルがある。ゴルフクラブも元々は欧米人向けのものでしょ?でも今は日本人の体格に合うものがあるしカスタマイズの多様性も進んでいるからより自分に合ったものを使うことができる。エレキギターは50年以上ほとんど変わっていないけど、ゴルフクラブの進化はすさまじいね。10年前とは全然違うよ。

ひと昔前に比べて今はゴルフの環境も良くなったね。コロナ禍でゴルフ人口が増えたのかわからないけど、ゴルフ場の中にはしきたりやレギュレーションを取り外すコースもあって、そういう動きは若い人たちにとって凄く良いと思うよ。ちなみに近所にある飲み屋の常連の30代前半から40代くらいの奴らが、ここ数年でみんなゴルフをやり始めて。飲み屋でも口開けばゴルフの話ばっかり。遂に今度コンペをやることになって、俺も初ラウンドの奴の面倒を見ることになったんだ。ちょうど新しいクラブも来るし、俺が10年愛用したRSはそいつの手元に渡ることになる。

30年前に俺が寿司屋で常連さん達にいじられながらゴルフにハマっていったように、またひとりゴルフ好きが生まれると嬉しいね。

Char

1955 年 6 月 16 日東京生まれ。本名・竹中尚人 (たけなか ひさと)。ZICCA REDORDS 主宰。8 歳でギターをはじめ、10 代からバックギタリストのキャリアを重ねる。 1976 年『Navy Blue』でデビュー以降、『Smoky』『気絶するほど悩ましい』『闘牛士』等を発表。Johnny, Louis & Char 結成翌年、1979 年に日比谷大野外音楽堂にてフリーコンサート「Free Spirit」を行う。1988 年 江戸屋設立以降、ソロと並行して、Psychedelix、BAHO での活動を行う。2009 年には WEB 通販主体レーベル「ZICCA RECORDS」を設立し、TRADROCK シリーズを発表。2015 年 5 月、還暦アニヴァーサリーアルバム『ROCK 十』を発表。2016 年、ギターマガジン誌による、プロギタリストを中心とした音楽関係者へのアンケート投票「ニッポンの偉大なギタリスト 100」にて 1 位に選ばれる。2018 年、Fender Custom Shop にて日本人初のプロファイルドモデルを発表、オリジナル楽器ブランド ZICCAAX にて、様々なオリジナル楽器アイテムを展開中。2020 年、ギターマガジン誌投票「ニッポンの偉大なギター名盤」にて、1stアルバム「Char」が一位に選ばれる。2021 年 9 月、16 年ぶりのオリジナルアルバム「Fret to Fret」を発表。12 月にはデビュー45周年武道館公演を開催。2022 年4月、同公演の映像作品を発売。同年、Char & Fender All Stars 名義の Fender 75th Anniversary Charity Project 、チャリティ・ソング「We Love Music」を発表。2022年、1976年デビュー・アルバム期のライヴ音源『CHAR LIVE 1976』をリリース。2023年 、全てを“独り”で手がけた“スタジオ・クラフトの結晶”ともいうべきインスト・アルバム『SOLILOQUY』をリリース。

オフィシャルH.P. : www.zicca.net